本館は歴史民俗資料館と
映画資料館が併設され、
平成8年2月23日にオープンしました。
特に全国的にめずらしく、
大型映写機や新旧の映画ポスターを
多数所蔵しています。

映画上映

本館では、毎月第2土曜日に、一日2回、映画を上映しております。映写機のカタカタという音を聞きながら、昔懐かしい映画をご覧になれます。毎年、12月、1月に来館された皆さんにアンケートをとり、リクエストが多かった作品を中心に12作映画を選定しております。

映写機
日 時 毎月第2土曜日 
午前10時~ 午後2時~
場 所 2F映画資料室
料 金 入館料のみ

上映する作品についてはお問い合わせください。

  • 映画ポスター
  • イラスト
  • 花笠若衆
  • 衣装

企画展

企画展「八神城と毛利氏 ~ 清和源氏を祖とする名家の歴史をたどる ~」のお知らせ

 廃線となった名古屋鉄道竹鼻線八神駅跡(羽島市桑原町)から南へ300mほど行くと、一見してイチョウの大木が目にとまる。ここが在地の領主として明治維新まで400余年間にわたって領地を守ってきた家柄の毛利氏の八神城館跡である。

 毛利氏は清和源氏の嫡流と言われ、室町時代には尾張国長岡荘石田郷の郷司(地頭)であり、石田城(現下中町)の構えをもち、当地の土豪としてこの地を治めていた。その後、美濃国守護の土岐頼芸をはじめ、織田信秀・信長・信雄の三代、羽柴秀吉、池田輝政、そして徳川家康などの武将に随身した。石田の地から八神に居城を移したのは、安土桃山後期から江戸初期と考えられている。その間、毛利掃部介廣盛とその子小三郎廣次の功績は大きく、関ヶ原合戦には徳川方に味方し、この年の慶長5年(1600)霜月に家康より所領三千石を安堵されている。次いで、大坂の陣においては美濃勢として参加し、河内国牧方に出陣し徳川家に貢献する働きをしてきた。
江戸時代に入ると、慶長17年(1612)に尾張藩祖徳川義直(家康九男)が美濃国で6万2千石加増されたとき、当主廣次はこの機を得て尾張藩随身(宿家老)が叶い、八神の地を長く治めてきた。天明6年(1786)に描かれた『毛利家字古図』によると、「表門を入った左手に二層の本丸、その後ろに奥御殿があり、立派な内堀外堀があり、堀周りに多くの木が植えられている。城館の内には稲荷神社が祭られ馬場もある。田畑も含めて敷地は十一町三反二畝三歩(約11ha)・・」と記されている。そののち江戸幕府の終焉を受け、初代廣次から数えて13代廣貫は明治維新の太政官布告に従い、明治9年(1876)領村を奉還し笠松県の直轄下に入り、その役割を終えている。

 尾張藩所属八神城主歴代の墓は、近くの妙心寺派金寳寺境内、北西部に画した地に林立している。この金寳寺は慶長元年(1596)、初代領主毛利掃部介廣次が毛利氏菩提寺として創建され、武功の拝領品の駕籠も残されている。これらの史跡や有形文化財をはじめ、長く毛利氏に保存されてきた資料は、鎌倉時代から江戸時代にわたる数々の古文書や絵画、工芸品など当時を知るうえで貴重な品々である。現在も羽島市内や近郊市町にも往時を偲ぶ数多くの文化財・史跡や資料が残されている。

 今回、毛利氏当代のご協力をいただき、八神城と毛利氏に縁のある資料を紹介し、郷土の発展に尽力した歴史をたどる機会として企画展を開催しました。様々な文献を参考にしましたが、江戸当初は当主が廣盛であったり、廣次であったり、同一人と扱われていることもあり不明瞭なことも少なくありませんが、家系図や金寳寺記、歴代城主の墓碑などを参考に取りあげました。史実と異なることもあるかと思いますがご了解いただきますようお願いいたします。今まであまり知りえなかった多くの郷土の歴史を見つめる機会にして、この企画展を楽しんでいただければ幸いです。

開催期間:令和6年10月5日(土)~ 12月15日(日)
羽島市歴史民俗資料館・映画資料館

企画展の様子

歴史と伝統

竹鼻まつりの山車

本館がある羽島市の注目すべき歴史と民俗芸能をご紹介します。竹ヶ鼻城・美濃路などの歴史関係、竹鼻のまつり・代々まつりなど民俗芸能関係。ぜひご覧ください。

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施設案内

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アクセス

アクセスマップ
住  所 〒501-6241 
岐阜県羽島市竹鼻町2624-1
T E L 058-391-2234
F A X 058-391-7663
開館時間 午前9時~午後5時
(入館は午後4時30分まで)
休 館 日 毎週月曜日祝日の翌日年末
年始(12月28日~1月4日)
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