期 間 | 城 主 | 記 事 |
応仁年間(1467~69)~ 文明年代後半(1480頃) |
竹腰伊豆守尚孝 (たけこしいずのかみなおたか) |
応仁年間に竹ヶ鼻城を築く。竹腰氏は土岐氏に仕え、文亀の頃(1501~4)山城守とその子伊豆守は柳津町にいた。 |
文明年代後半(1480頃)~ 明応5年(1496) |
長井豊後守利隆 (ながいぶんごのかみとしたか) |
土岐氏の重臣で、明応5年竹ヶ鼻城から加納城へうつる。 |
長井隼人正道利 (ながいはやとのしょうみちとし) |
豊後守の子で、はじめ竹ヶ鼻城におり、後に関の城主となる。 | |
不破権内綱村 (ふわごんないのつなむら) |
土岐・斎藤氏に仕え、後に織田信長に仕える。不破郡府中城と安八郡西ノ保城、竹ヶ鼻城は同族で、美濃の三不破といわれた。 | |
~天正12年(1582) |
不破源六広綱 (ふわげんろくひろつな) |
綱村の子で、後に織田信雄(おだのぶかつ)に仕えた。 城の設備や町作りにも力を入れた。天正9年八剣神社を現在の位置にうつした。また、天正の初め頃に本覚寺を創立した。 天正12年6月10日秀吉の水攻めにあい城を明け渡し、伊勢長島に去る。 |
天正12年(1582)~ 天正13年(1585)9月 |
一柳伊豆守直末 (いちやなぎいずのかみなおすえ) |
水攻めで竹ヶ鼻城を攻め落とした秀吉は、家臣の一柳を城主とし、伊豆守に任じた。 天正13年9月4日に大垣城(15,000石)に転じ、同15年に本巣郡軽海城(50,000石)へうつる。 |
天正13年(1585)9月~ 天正18年(1590) |
伊木清兵衛忠次 (いきせいべえただつぐ) |
秀吉の家臣、池田輝政(岐阜城主)の家老伊木が城主となる。 |
天正18年(1590)~ 文禄元年(1592) |
森寺清衛門 (もりでらせいえもん) |
天正18年、池田が三河国吉田城へ、伊木が同国田原城へ国替されると、今尾城にいた森寺が城主となる。 |
文禄元年(1592)~ 慶長5年(1600) |
杉浦五左衛門重勝 (すぎうらござもんしげかつ) |
文禄元年、織田秀信が岐阜城へ入り、その家臣杉浦が城主となる。杉浦は信長、信雄に仕え、浅野城(一宮市)に11,000石を領していた。 慶長5年8月22日、関ヶ原の前哨戦で落城し自害した。 |
間島太閤山(まじまたいこうやま) | |
天正12年(1584)5月、豊臣秀吉が一夜堤を築いて竹ヶ鼻城を水攻めにしたとき、付城(戦闘指揮所)とした小丘です。高さ6メートル、巾40メートル四方でしたが、現在は取りこわされて畑となっている。 昔、この小丘には清水の湧き出る井戸があり、日照りが続いても枯れなかったといわれている。この付近からは古武器類も発掘(はっくつ)されているという。太閤山が史跡として、市の文化財に指定されている。 |
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間島太閤山跡 |
大浦寺砦(おおうらてらとりで) | |
弘治2年(1556)4月、斎藤道三とその子義龍との間に不和が生じ、親子が長良川を夾んで相戦うこととなった。道三の女婿であった織田信長のもとに救援の要請があった。信長は手勢の兵を率いて早速美濃に向かった。途中尾張の国中島郡の大浦寺砦に陣を布いた。 天正12年(1584)4月29日、羽柴秀吉は長久手の戦いで思わぬ敗戦を喫し、矛先を織田信雄居城の長島城攻撃に向けようとして、犬山の戦線を離脱して大浦城に入り、2日間にわたって作戦を練り、5月1日に至り、犬山で織田徳川軍に対峙していた10万の全軍に羽島方面への反転を命じている。 |
本覚寺(ほんがくじ) | |
永禄元年(1556)尾張国春日郡三淵村下津、正眼寺八世玄沢祖栄の創立で、当初は天台宗でしたが後に曹洞宗に改めました。 慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで竹ヶ鼻城落城の折、焼けてなくなりました。安永3年(1774)再び火災に見舞われましたが、天明6年(1786)本堂を再建しました。 本堂の絵天井と永田佐吉翁の墓は、県の文化財に指定されています。 |
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本覚寺絵天井 |
八劔神社(はっけんじんじゃ) | |
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創立年代はくわしくわかりませんが、以前当町の西端字須賀の内元宮にあったのを、天正9年(1581)、時の城主不破源六広綱が城の鬼門除けとして現在の地に移した。 現在の建造物は、元禄7年(1694)10月宮大工大橋忠衛門、葺師奥平金衛門などの手によったもの。神社正面の欄間をかざる「波に兎」の彫刻は左甚五郎の作と伝えられている。 拝殿の天井絵は、平成4年ごろに地元の画家たちにより描かれたものが掲げられている。 |
八剣神社絵天井 |
一夜堤(いちやづつみ) | |
天正12年5月、秀吉による竹ヶ鼻城水攻めの際に造られた堤で、高さ6~7間(約10.8~12.6メートル)、巾14~15間(約25.2~27メートル)。竹ヶ鼻城を中心に北は間島から西へ半円を描いて、松山、本郷、各村をまわって、南は江吉良で逆川堤に接続する、長さ約2.6キロメートルの長堤です。 |
竹鼻町今町 |
市営斎場前 |
羽島郵便局前 |
水攻めの足取り |