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竹鼻祭 |
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竹鼻祭りは現在では5月2日試楽(しんがく)・3日本楽(ほんがく)に行われています。 天保年間の記録では「八剱神社(はっけんじんじゃ)祭礼は毎年八月八日、九日、但し、試楽八日朝舞台奉納、本楽九日朝音楽拝殿に於いて奉納、両日とも神子神楽執行、境内にて小角力、芝居、見世物等興行仕える。夜分は灯燈献ず。」と記録されています。
この祭りは、当時 竹が鼻城主であった「不破源六広綱」が天正9(1581)年に、竹鼻城の鬼門除けとして、八剱神社を現在地に遷座した時に始まると伝えられています。
明治になって太陽暦の時代に入り、10月8日、9日とされたが、明治35年に5月8日、9日、昭和48年に5月4日、5日へと変更され、更にその後現在の日付に変更されてきています。
本来この祭りは、江戸時代の昔から中島郡竹ヶ鼻村にある八剱神社の祭礼として、執行されてきたものであって、明治以降に編入合併した逆川以東の町内の祭礼ではありませんでした。
かっては、八剱神社境内は祭りの人々で賑わい、旧家は秘蔵の屏風をめぐらし、軒に幔幕を張り、祭礼用の提灯をつけり、余興として全町内の山車(やま)(
昭和48年3月16日、岐阜県指定有形民俗文化財。)が曳き出されました。 この祭りを彩る最大の見せ場である山車は、現在13町内・13輌ありますが、古い記録によると寛政4年(1792)には7輌とあり、天保末年(1843)
頃には13輌とあります。(現在山車を保存する13町内とは同一でない。) |
上城曳行 |
弘化・嘉永年間、竹ヶ鼻の山車全図 |
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一番山車から十三番山車まで序列があって、順序に従って全町を曳行しました。又、大人や子ども御輿も出ました。夜山車を出す町内もあり、各家庭では、親戚・縁者が祭り見物に訪れ、祭り料理をふるまい、町は露天が軒を並べ、見物客や買い物客で夜遅くまで賑わいました。
この山車は、大正13年(1924)からは半数ずつ毎年交互に曳かれるようになりましたが、特別に記念される年には13町全ての山車が勢揃いします。
町内の祭礼責任者は、祭礼余興届けを竹鼻警部交番へ提出し、山車の日時、コース等を記入し、トラブルを起こさないことを誓約しました。
町内では祭礼前の準備として、4月29日の祝日に神社境内の幟起(のぼりお)こしが行われ、足揃えと呼ばれる山車の練習曳きは、昔は祭りの3日前に行われていたのが、幟起こしの後に行われることが多くなりました。
祭りの前日には車会所(くるまかいしょ)が開かれます。車会所とは祭りの期間中の集会所のようなもので、各町内ひとつずつ設けられています。玄関の左右には大提灯、町内名が入った纏い提灯が飾られ、結界と呼ばれるヒノキの柵の先には、迎え提灯を飾り幔幕を巡らします。
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宮町車会所 |
夜には車会所に町内の人々が集まって、お囃子を奏で酒を酌み交わします。
本楽当日は、朝から八剱神社では神事が行われ、各町内の奉芸を待つています。戦前(1945年以前)には試楽の日にも各町内が、個別に八剱神社に奉芸しました。現在では本楽のみの奉芸で、籤できめられた順番に境内に入場し、各々5分程度の芸を奉納しています。
八剱神社に奉芸を終えた山車は、町の一角に総揃いします。
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総揃い |
曳行の列は、区長を含む町内役員が山車の先頭を歩き、後を綱割と呼ばれる拍子木を持った先導が続き、曳き手は15人前後、昔は他の町に頼むことが多かったが、最近では地元を離れている若者も祭りには駆けつけるなど、町内の人々の手で曳かれるようになりました。
山車曳行経路図に従がって各町内の車会所を巡り、奉芸挨拶をして帰ります。 夜山車は提灯に飾られた幻想的な山車で、昔は多くの町内が夜山車を曳いていましたが、今では上城と今町の2町内だけが行っています。
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車会所の撤去や幟倒しは、山車曳行の翌日に行なって八剱神社の祭礼は終了します。 |
上城町宵山 |
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竹鼻まつりの出車 |
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明治24年の濃尾震災により、13両の出車のうち、半数近くが焼失した。その後新たに建造したり、修理が施された。 |
①宮町の山車 |
宮町の出車 |
制 作 大部分は明治20年に完成、関ヶ原の樋口伝兵衛の作
奉 芸 子どもの手踊り
前 山 上部は金箔、中部は梨地、下部は青貝入り ろ色塗り、彫刻は「寿老人」「稲穂に雀」「紅葉」
後 山 青貝入り ろ色塗り、明治6年製
高欄と手すり 黒艶出し、金具、鍍金、彫刻、波に竜
四本柱 ろ色塗り、明治6年製
天 井 二重組、金箔、明治21年樋口伝兵衛の作
大 幕 白縫いつぶし、「丸竜」図、金銀色糸、大正4年松坂屋製作
水 引 赤縫いつぶし、「注連縄図」
見送り 狩野有景筆「竜王の舞」京都大丸製作 |
②大西の山車 |
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大西カラクリ |
制 作 年次不明、嘉永元年と明治21年改修
奉 芸 カラクリ人形「湯取り神子」天保11年隅田仁兵衛作 前 山 つづみ型 ろ色艶出し、彫刻、「高砂」
後 山 つづみ型 ろ色艶出し
高欄と手すり 朱塗り青貝入り
四本柱 ろ色青貝入り
天 井 組天井、金箔 屋 根 神社型二重屋根、黒色塗り
大 幕 しょうじょう緋ラシャ、「竹に虎」「雲に竜」図、嘉永元年製作
水 引 しょうじょう緋ラシャ、「すだれ図」
見送り しょうじょう緋ラシャ、「張良靴を捧げる図」 |
③上鍋屋町の山車 |
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上鍋屋町・布袋踊り |
制 作 濃尾震災で焼失、明治37年大垣久瀬川より購入
奉 芸 ぬいぐるみ「布袋おどり」明治24年土居新三郎作
前 山 こげ茶色塗り、彫刻「手長人」「足長人」昭和31年後山を前山として改造
後 山 昭和31年に新造
高欄と手すり 黒塗り、鍍金金具、彫刻「唐獅子」
四本柱 無地
天 井 なし 屋 根 破風造り年々紙で張替え
大 幕 しょうじょう緋ラシャ無地
水 引 金糸織、明治37年に新調
見送り しょうじょう緋ラシャ無地 |
④下鍋屋町の山車 |
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下鍋屋町・カラクリ |
制 作 天保年間と伝えられ、明治・大正各初年に改修
前 山 御殿造、黒と朱塗り、青貝入り金たたき。彫刻は「雀」「唐人」
後 山 御殿造、鏡板金蒔絵「月に萩」 高欄と手すり ろ色金たたき、青貝入り、金物真珠、鍍金唐草模様 四本柱 ろ色青貝とぎ出し、金の面取り
天 井 組天井、金箔 屋 根 組子、黒塗
大 幕 しょうじょう緋ラシャ、森高雅筆「雲上の仙人と虎、唐獅子」金銀色糸ししゅう
水引・見送 大幕と同じ、図柄は各「群鳩」「岩上鷲」 |
⑤川町の山車 |
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川町・手踊り |
奉 芸 子どもの手踊り
前山・後山 黒うるし地青貝入り、蒔絵「唐獅子」
高欄と手すり ろ色塗り
四本柱 黒うるし塗り、青貝入り朱面とり
天 井 金箔おし、黒漆すみとり 屋 根 黒うるし塗り、金うるしふち取り
大 幕 しょうじょう緋ラシャ、「きりん図」「鳳凰図」
水 引 白ラシャ、「笹竜胆図」金糸ししゅう
見 送 濃紺ラシャ、「義歯大人図」 |
⑥下城町の山車 |
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下城町手踊り |
製 作 寛政6年、改修文久3年
奉 芸 子どもの手踊り
前山・後山 塗り種々、蒔絵つき青貝とぎ出し
高欄と手すり ろ色青貝とぎ出し、鍍金金具つき
四本柱 ろ色 金具なし 天 井 ます型組天井 屋 根 黒ぬり、鍍金金具つき
大 幕 あい色ラシャ「芭蕉の下に唐子4人が鶏合せを遊ぶ図」稲廼家種麿筆、ししゅう師高桑鎌次郎
水 引 しょうじょう緋ラシャ、「山水人物図」
見 送 水引に同じ、「鶴一番図」、島津幸渓筆 |
⑦上城町の山車 |
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上城宵山 |
製 作 寛政6年、改修嘉永6年
奉 芸 カラクリ人形「唐子鐘叩太鼓打」天保・隅田仁兵衛作 前 山 ろ色塗り、青貝はく、彫刻鯉の滝上り」
後 山 ろ色塗り、上板は金箔金模様
高欄と手すり ろ色塗り、鍍金金具
四本柱 四方面取り、ろ色塗り、青貝入り
天 井 組天井 金箔 屋 根 御殿造、四方塗り垂木金箔、鍍金金具つき
大 幕 しょうじょう緋水色縫いつぶし「荒波図」
水 引 亀甲形中に百花百鳥の縫いつぶし
見 送 しょうじょう緋縫いつぶし「琴高(鯉上)仙人図」 |
⑧福江町の山車 |
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福江町 |
製 作 天明から寛政頃
奉 芸 カラクリ人形「唐子文字書」安政・五代玉屋庄兵衛作 前 山 青貝入りろ色塗り、「牡丹に唐獅子」「花島」
後 山 「すだれ紅葉」金蒔絵青貝入りろ色塗り
高欄と手すり 黒ぬり、鍍金金具つき
四本柱 青貝入りろ色塗り 屋 根 黒塗り
天 井 切天井金箔、枠はろ色塗り、鍍金金具つき
大 幕 しょうじょう緋ラシャ、金銀色糸「遣唐使図」
水 引 大幕に同じ「花鳥図」
見 送 白ラシャ、金銀色糸「須佐男命大蛇退治図」 |
⑨新町の山車 |
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新町 |
製 作 濃尾震災で焼失、明治38年再建
奉 芸 子どもの手踊り
前 山 紫檀と鉄刀木(たがやさん)造り、彫刻「昇り竜」
後 山 前山と同じ、鍍金金具つき、彫刻「鳩」
高欄と手すり 高欄は紫檀、手すりはろ色塗り
四本柱 赤木生地
天 井 格天井、鏡金箔はり 屋 根 破風造り、黒塗り
大 幕 しょうじょう緋ラシャ「雲竜図」、金銀色糸ししゅう、天保年間の作
水 引 しょうじょう緋ラシャ「岩上の鷹図」
見 送 しょうじょう緋ラシャ「岩上の虎図」天保年間の作、「猛虎図」嘉永年間の作 |
⑩中町の山車 |
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中町 |
製 作 濃尾震災で焼失、一時奥町の山車を購入使用、大正2年に再建 奉 芸 子どもの手踊り
前 山・後 山・高欄と手すり・四本柱 共に白木造り
天 井 格天井無地 屋 根 白木造り
大 幕・見 送・水 引 赤地金襴で七宝模様、昭和2年新調 |
⑪本町の山車 |
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本町 |
製 作 濃尾震災で焼失、明治43年再建
奉 芸 子どもの手踊り 前 山 白木造り、彫刻「牡丹」「藤」 後 山 白木造り、彫刻「竜胆」「唐草」
高欄と手すり・四本柱 白木造り
天 井 格天井無地 屋 根 白木造り
大 幕 白ラシャ「蝶鳥図」金糸ししゅう、明治43年製
水 引 なし 見 送 リンス地「角つぎ図」、明治43年製 |
⑫上町の山車 |
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上町 |
製 作 濃尾震災で焼失、明治32年再建
奉 芸 カラクリ人形「勅使・岩船」明治・六代玉屋庄兵衛作 前 山 白木造り、彫刻「あわうずら」「鼠に大根」
後 山 白木造り、彫刻「しゅうかいどうに兎」 前山・後山共に諏訪の二代目和四郎の作
高欄と手すり・四本柱・屋根 共に白木造り
天 井 格天井、無地
大 幕 緋ラシャ縫いつぶし「竹林七賢人の図」、天明年間の作
水 引 緋ラシャ縫いつぶし「唐八景図」、天明年間の作 見 送 「鳳凰図」「人物図」天明年間の作 |
⑬今町の山車 |
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今町 |
製 作 幕末騒然たる時期に一町内として独立・当分は山車の造営に至らなかったが大正中期に新造する。
奉 芸 子どもの手踊り
前 山・後 山・高欄と手すり・四本柱 共に白木造り 天 井 白木造格天井 屋 根 白木造り
大 幕 緋ラシャ無地、昭和11年に新調
水 引 白ラシャ「笹竜胆図」、昭和11年新調
見 送 青ラシャ「唐獅子図」金銀色糸ししゅう、昭和11年新調 |
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