大浦の蛇(おおうらのじゃ)
1.「大浦の蛇」沿革
 羽島市正木町大浦地区に伝わる郷土芸能で「大浦の蛇」と呼ばれている雌雄2躰 の蛇が存在する。雌は上大浦に、雄は大浦新田にあり、共に長さ15m,胴回り4m,頭の大きさ1.5mこの頭の重量 20kgで外見は龍の姿をしており、頭は木製で、角や牙をつけ、紙をはって色がぬってある。
 胴は竹の輪を骨として、麻布(かや)をまき、濃緑色をぬり、鱗が描かれている。尾は大きな木製の櫂(かい)様なものが付いている。
 この大蛇の中に15~20人の装束をつけた人が入って、口を開けたり、尾を振ったりしてねり歩くのである。
 大浦の蛇の大きな特徴は、火を吹く姿である。口に備え付けられた花火に火がつけられると、空を赤く染める勇壮な龍となるのである。

火を吹く姿(写真提供・岩田光弘氏)

2.「大浦の蛇」の伝説

 この地帯は、その昔「尾張国中島郡大浦村」でした。天正14年(1586)に現在の境川を通って墨俣に流れていた木曽の本流が、大洪水を引き起こし川の流れが現在の川筋に落ち着くと、美濃国中島郡大浦村と変更された。
 それまで大浦村は、太閤記や信長公記に出てくる、聖徳寺の発祥の地であり、大浦寺砦(城)などがあって、かなり栄えていたと考えられるが、木曽川の洪水により破壊されてしまった。
 江戸時代になっても何度となく洪水や干魃の洗礼を受け、それでも先祖たちは長い歳月をかけて、大浦村の新田を切り開き農耕に励んできたのである。そんな中から、次のような水にちなんだ伝説が生まれてきたのだと思われる。
 『昔、木曽川が長く続いた大雨で増水したある夏のことでした。大浦の村人たちは、つい数日前には恵みの雨と喜んだのはほんの少し間、今度は洪水の危険にさらされました。
 昨年は、日照りが続き、何度か雨乞いをしたほどでした。それなのに、今年は洪水で家や田畑を流されるかもしれません。大雨に渦巻く川を不安に見つめる大浦の川岸にとても大きな一頭の龍が近づいてきました。
 おどろいた村人たちは、堤防の陰にかくれてふるえながら様子をうかがっていました。荒々しい様子もないのでおそるおそる近づくと、龍の頭が岸に流れついていました。よく見るとそれは本物の龍ではなく、木でつくったものでした。しかしその姿は頭から下を切り落とされた、いかにも悲しそうな姿でした。
 「龍は水の神様のお使いじや、村の氏神さまにおまつりしてやろう」と氏神に奉納しました。すると不思議なことに、大雨はいつの間にかおさまり、洪水の心配はなくなりました。その年の秋は、どの田畑も黄金(こがね)の穂が豊かに実りました。「これはあの龍のおかげじゃ」と感謝して、村中総出で傷ついた龍の手当てをしました。しかし、村人たちは龍がどんな姿をしていたか知りませんでした。聞き伝えや創造を加えて一年がかりで龍の首からしたを付け加え、雌雄の一対を完成させました。   翌年の秋は、豊作の感謝をこめて龍を動かしました。村人たちはみんなで龍の中に入り、稲穂が実る村内をねり歩きました。その姿を見た他の村の人々は、「大蛇がはっていくようじゃ」と評判になりました。』  
 そして、いつの間にか『大浦の蛇』と呼ばれるようになりました。

雨乞いの御幣「黒幣」を迎える。
(大正11年9月撮影・故豊島正男氏)

奉祝・皇太子(昭和天皇)誕生。
(昭和8年12月撮影・故豊島正男氏)
3.「大浦の蛇」の復活
 「大浦の蛇」は伝説にあったような話が伝わっているが、実際には「雨乞い」の行事に多く使われてきたもようである。残っている資料によると一番古い記録は150年ほど昔のことになる。(19世紀の中ごろ)
   大浦の蛇・新田火薬箱・最初から火薬運搬箱として使用されていたとは考えられないが、弘化3年(1847年)とあるから、江戸時代末期には奉納(大浦新田の新明神社)されていたと考えられる。
(写真提供・岩田光弘氏)
  しかし、明治以降に、治水や農業用水の設備が完備してくるにつれて、雨乞いの必要も少なくなり、「大浦の蛇」の出番は少なくなった。
  第2次世界大戦の後は、昭和22年(1947)の憲法発布記念と昭和29年(1954)の羽島市制祝賀行事の2回で、その後長らく冬眠をしてしまった。
 ながらくその姿を見ることのなかった大浦の蛇であったが、村おこしや地域の活性化が叫ばれるようになり、昭和61年度の宝くじの助成金によって修理されてみごとに新しい姿をあらわした。
 
勢揃い(写真提供・岩田光弘氏)
 
新装なった蛇を氏神に奉納(写真提供・岩田光弘氏)

新装なった蛇を氏神に奉納(写真提供・岩田光弘氏)

 
  その後今日まで数々のイベントに出動し、人々の前にその勇姿を示している。最近では出演依頼のある行事などと、正木町の盆踊りや町民運動会の際に、出演していることが多い。
 

 
 昭和63年8月・羽島円空フェス88。羽島市民会館で舞う「大浦の蛇」・・・羽島市で初めてのお披露目。
(写真提供・岩田光弘氏)
昭和63年8月・ぎふ中部未来博会場で「大浦の蛇・火を吹く蛇」を披露。
(写真提供・岩田光弘氏) 
 
上大浦の蛇・雌(写真提供・岩田光弘氏)
 
大浦新田の蛇・雄(写真提供・岩田光弘氏)
   

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