平方勢獅子(ひらかたきおいじし)
 
 羽島市福寿町平方に伝わる神楽獅子は、「平方勢獅子(ひらかたきおいじし)」と呼ばれ、毎年10月の第2日曜に実施される氏神の祭礼に天下泰平・五穀豊穣・家内安全を願って神前で奉納されており、昭和33年に岐阜県重要無形民俗文化財の指定を受けている。
  ここの氏神は八幡神社であるが大正5年1月に、長良川の堤外にあった神明神社を境内社として合祀したことにより、神明神社に所属していた平方勢獅子は八幡神社の所属となった。このような理由で一の鳥居は八幡神社の神額を掲げた明神型鳥居であり、二の鳥居は神明型鳥型が建てられている。
 平方勢獅子の興りは、当地平方にある「永照寺」★六世 等乗の発意により、庄屋伊藤半右衛門(寛文3年(1663)没)、組頭九郎右衛門(寛文11年(1671)没)及び休三郎(延宝四年(1676)没)らが天下泰平・五穀豊穣・家内安全を祈願し、春秋の和平安楽を感謝・祝福する行事として、苦心の末に平方勢獅子の基本の型が創作された。
  その後元禄年間(1688~1704)に歌舞伎の勢獅子が取り入れられて改善され、年中行事として今日に伝承される神楽獅子が完成されたと言われている。
  またこの土地の門徒は伊勢長島からの移住集団であり、平方勢獅子の底流には伊勢系の太神楽の古い型が伝えられているとも考えられる。
 この神楽獅子は七つの舞台にわかれており、笛・太鼓の神楽囃子に合わせて舞うもので所要時間一時間三十分を要する。
★永照寺について
現在の羽島市福寿町平方にある「永照寺」の創立は、天文2年(1533)8月伊勢国桑名郡長島郷杉江村願証寺住職蓮淳5男、照光が一宇を創立して、光照寺と名付け、長島一向一揆(1570~74)のとき堂宇一切破壊され敗走、美濃に避難していたが、その後本願寺門徒(講)からの強い要請を受けて、現在地に寺院を造り、寺号を永照寺と改めたと伝えている。 ここの本堂 (岐阜県・羽島市指定文化財) は尾張藩の藩校・明倫堂にあった、総欅造(そうけやきづくり)の儒教聖堂を移築したものである。従って、ここ永照寺本堂は、寺院様式の建築物ではなくて、もともと孔子像を祀った建物であり、当初は天明7年(1787)4月に明倫堂の敷地の中に建てられてた建物である。  現地への移築工事は、明治6年に着手し同8年に竣工した。このとき寺院としての用途にしたがつて建物の内部の一部が改修されているが、外観全く変更されていない。(儒教聖堂のままである。)

道行き 獅子頭先導で獅子山車が氏神へ
1.幣の舞
 奉納三舞としての儀式舞は、幕の舞・幣の舞・鈴の舞である。
 本来は二人立ち二匹獅子の舞であったものを、桃山時代に尾張・伊勢地方で興った太神楽(だいかぐら)と呼ぶ職業獅子舞集団が、二人立ち二匹獅子舞いを人件費節約のため二人立ち一匹獅子の舞とし、幣の舞と鈴の舞の二つの演目を一つの演目として時間短縮を図った。平方勢獅子もこの影響を受けていると言われている。幣の舞は、雌獅子が右手に鈴、左手に幣を持って四方の悪魔を払い世を清め、国家の安泰と家業の繁栄を寿ぐ儀式舞である。
 この舞は、平方では「幣の舞」と呼んでいるが、所によっては「鈴の舞」と呼ぶことが多い。
 幣の舞が儀式舞の全てを含んでおり、前半で舞う二人立ち一匹獅子の獅子舞は、西日本全体に普及しいる型であり、平方勢獅子が西日本の東端に位置しているとみられる。

幕の舞

幣の舞
2.剣の舞
一人立ち一匹獅子(雌獅子)の舞であり、右手に大刀、左手に小刀の御神刀を持って世の中の悪魔を払い邪悪を正し、国家の安泰と家内の息災を祈願する正義と勇気を表示した余興舞である。
この舞の後半が歌舞伎の三番叟に当たる演目である。

剣の舞
3.平方勢獅子
  二人立ち一匹獅子(雄獅子)がこの獅子舞の主体で、勇壮豪快に百獣の王である唐獅子が咲き乱れる牡丹の花に狂い戯れる姿を表現した幕の舞であるが、後段が太神楽から取り入られて、多くの所作を見せるところから、余興舞に位置づけられている。  
平方勢獅子
 4.遊猿の舞  
  幣と鈴を持った幣の舞姿の、雌獅子と二匹の小猿の三人舞であり、「獅子と小猿の舞の舞」とも呼ばれ、村のこどもたちが一年の無事を祝福し、小猿の姿に化装し面白おかしく遊び戯れる姿を舞いに表現した余興舞である。  
遊猿の舞
 5.狐釣り  
  農民の生活から発生する田遊び系の芸能であり、本来は獅子舞系の芸能ではないが、江戸・甲信越・飛騨で普及した太神楽の余興舞が、飛騨街道から伝播したと考えられている。この芸能を伝えるのは、全国でも埼玉に一ヵ所、飛騨に五ヵ所とここ平方の七ヵ所のみに伝わるといわれる貴重な民俗芸能である。
 
狐釣り

狐釣り
 
 6.夫婦和合の舞  
 農夫と獅子とお亀の三人舞いで、通称「お亀の舞」と云われている。お亀狂言、お亀踊り、和合の三部作であるが、これは太神楽の余興舞が伝播したものと考えられる。
  一度夫婦の契りを結んだからには、ともに白髪の末々までも仲良く長寿を願う夫婦和合を表現した舞で、性交を表現しているのは、ここ平方、養老町栗笠と奈良県の一ヵ所で、全国でもこの三箇所だけであるといわれる。

夫婦和合の舞
 7.天狗の舞・五人持ち  
 村名主と天狗の大人を大猿に、子どもを小猿に、青年を狐に化装し、感謝の念をもって神を慰める滑稽味を帯びた余興舞である。
 天狗と獅子の舞から始まり、獅子退場後小猿二匹が登場し天狗と戯れ舞った後、力持ちが登場し、五人持ちの演技が行われる。五人持ちは昔から青年たちの体力養成の一助として行われたもので、五人の人を一人で持ち上げ舞台を一巡する。
 その後平方勢獅子だけの演目であるが、天狗、小猿、狐の加わった「天狗の舞鯱」の演技が披露され、舞台を一巡して平方勢獅子の全演目が終了する。
 
天狗の舞
 
天狗の舞・鯱
 
天狗の舞・五人持ち

トップへ戻る