竹鼻の代々祭り(たけはなのだいだいまつり)
 羽島に夏が近づく頃、竹鼻の町に古くから伝わる「代々(だいだい)祭」と呼ばれる祭礼が伝えられてきています。
 現在の竹鼻町が葉栗郡竹ヶ鼻村と呼ばれていた、天保年間(1830~43)の村明細帳によれば、「竹ヶ鼻村の町数は12町、町々に神社が一社ずつ軒上(屋根神様)に祭ってあり、毎年6月中に町々に定休日があって灯燈を献じ神事を執行する。」とあり、明治5年には、新しく川町・今町が加わり、14町となり、現在は大仏町を加えて逆川以西15町内で実施されており、この町内屋根神様の神事が「代々」であり、現在の逆川以西の竹鼻町地域に当たる一帯に伝わる祭礼であります。ここでいう町名は現在では、ほヾ自治会名として引き継がれています。
 民俗的には、夏を無事に過ごせるように願う「夏越(なごし)」の神事で、町内の町や家が代々栄えることを願って行われるもので、今年前半の無事を神に感謝し、あと半年の無病息災を祈願する、旧暦の6月中に行われた祭礼です。
 祭の日程も時代と共に変遷があり、明治の初期までは、6月1日、6月15日、6月16日におこなわれ、竹鼻の氏神の八劔神社で行われる6月30日の大祓が、代々祭りの収めの神事でした。この日程は太陽暦が採用され、従来の季節とのずれを調整するため、明治15年に改正されて代々の神事を1ヶ月遅らせて今日の日程としたため、八劔神社の大祓の神事が代々祭のスタートとなっています。
  したがつて、現在行われている祭礼の順序としては、先ず6月30日に竹鼻町の八劔神社において、今年前半の罪や汚れを祓い清め、あと半年の無事を願う「禊ぎ(みそぎ)神事」が行われます。  

 屋根神様
 八劔神社禊ぎ神事  
  この禊ぎの神事は、次のように行なわれます。
 「よし」の束を細縄でしばって作った直系170Cmほどのよしの輪が神社の入り口に設置されます。この輪をくぐると罪や穢れが消えて身を清潔にすることが出きるといわれており、輪のくぐり方は、左回りに八の字を書くように回ります。参詣者は、輪くぐりをして拝殿で参拝します。
 拝殿には、人型を印刷した用紙と笹竹が準備されており、希望者は住所、氏名を記入してよくない箇所に○印を付けて笹竹につるします。午後7時に、宮司が病気治癒、健康安全を祈願します。「禊はらい」の期間は3日間で、終了後は浄火で焼却します。昔は逆川に流していた模様です。
 
茅の輪
 代々祭の神事  
 現在の代々祭は、7月1日になると、下町・上鍋屋・下鍋屋町・大仏町で、7月15日には、今町・福江町・新町・上町・川町・本町・中町で、7月16日には、宮町・大西町・上城町・下城町で夏祭り(提灯祭)が行われます。
 町内神社の軒下から道路の向こう側へ2本の綱を張り、白色の大提灯を六個ずつ12個つけました。うるう年は1個増やして13個つける。各戸もこれに習って綱を張り、白の小提灯をつけました。しかし、行通上障害が出てきたので、現在は、各戸軒先に笹竹を立てて赤提灯を点灯するようになりました。12個つけるのは1年の月の数を意味しています。
  夕暮れになると、あちこちの家庭で点灯が始まり赤提灯が夜空に映えて美しく、ローソクが燃えつきるまでの暫時ではありますが、町は子供づれの親子で賑わいます。ローソクの代わりに豆電球を入れる家もでてきました。
 各町内の屋根上神社は、火災鎮護の秋葉神社を奉祀し、町内では順に係りを決めて毎月1日、15日に酒、榊を供えて参拝しています。毎年12月には、町内の代表者が静岡県春野町の本宮へ代参して、お札を請け、各戸へも配布しています。
 
   
 みそぎ団子  
 また、この祭におつな味を添えるものとして、「みそぎ団子」(別名・味噌付けぶんたこ)がこの時期に限り売り出されます。   毎年6月30日の禊まつりの日や、7月の提灯まつりなどの日に菓子屋・餅 屋などにより売り出されていました。現在は「竹鼻藤祭り」の間、6月初めか ら8月半ばまで、岐阜看護大学の「岐看祭」、「美濃竹鼻なまずまつり」(共に 10月)、農協祭(11月) の各々の期間に発売されています。
 この団子は、本来は6月30日に八劔神社で茅の輪くぐりを済ませ、家に帰ってみ そぎ団子を食べて、はじめて今年前半の罪や汚れを祓い清められるとして、この日は 予約をしないと団子の購入が困難なことが発生します。
  みそぎ団子の外観は、大粒のみたらしの玉を2個、手で押さえて平たくし、 それを先を2本の扇形に割った竹串に刺し、焼いて赤味噌を付けた様な姿形です。
  みそぎ団子の作り方と材料は、米で作った皮でこしあんを包み、これを炭火で焼いて、赤い甘味噌を付けたものであり、甘味噌の中には、胡麻や季節の木の芽を入れて一層味を添えることもある。
 
   
 味噌をつけられた団子の話
  この「みそぎ団子」(土地の言葉で「団子」のことを「ぶんたこ」と呼ぶ) が造られるようになった由来については、諸説がありますが、その一部を紹 介します。
その1
 美濃竹鼻の輪中は遠く宝暦年間に遡り、豪梅雨により洪水に続き悪疫 流行を蒙ったのであります。
 みそぎ団子は時の氏神八剱神社にて稗、粟の団子をお供えし、厄病よけの祈りをしたことに始まりました。現在は1年の真ん中に当たる6月30日の夕方に氏神八剱神社にて「みそぎ払い」の神事を受けて、このお団子を食べると「夏ばて・夏風邪」をひかず元気に暑い夏を乗り切ると言われております。
その2
 昔、かわむらや(仕出し屋)の祖先が、商売用の団子をたくさん作って準備を していましたが、あいにくその年は降雨が続き、沢山の団子が売れ残ってしまいました。
 かわむらやの主人は、思案の果てに売れ残った団子に味噌をつけ、炭火で焼いて店頭に並べておきました。竹ヶ鼻村民たちは、このひなびた素朴な味のする「味噌付けぶんたこ」を大変好み、たちまち売切れてしまいました。翌年からは、団子に味噌をつけて焼かれ、「みそぎ団子」として売られるようになり、代々祭とは切り離せない祭の風物として定着したと伝えられています。
 
   

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