本館は歴史民俗資料館と
映画資料館が併設され、
平成8年2月23日にオープンしました。
特に全国的にめずらしく、
大型映写機や新旧の映画ポスターを
多数所蔵しています。

映画上映

本館では、毎月第2土曜日に、一日2回、映画を上映しております。映写機のカタカタという音を聞きながら、昔懐かしい映画をご覧になれます。毎年、12月、1月に来館された皆さんにアンケートをとり、リクエストが多かった作品を中心に12作映画を選定しております。

映写機
日 時 毎月第2土曜日 
午前10時~ 午後2時~
場 所 2F映画資料室
料 金 入館料のみ

上映する作品についてはお問い合わせください。

  • 映画ポスター
  • イラスト
  • 花笠若衆
  • 衣装

企画展

企画展「昔のくらしと道具展 ~ 羽島・竹鼻小学校の歴史をたどる ~」のお知らせ

 「いちねんせいになったら いちねんせいになったら ともだちひゃくにんできるかな・・」、誰もが口すさんだことがある『いちねんせいになったら』の歌詞です。小学校は初等教育を施し、学校系統上最も基礎的な段階をなす学校で、特に小学校入学は子どもの発達段階における大きな節目です。

明治新政府にとって教育の普及と向上は大きな課題の1つでした。そのため教育改革の基盤として、最初の近代的学校制度を定めた教育令となる「学制」が、1872年(明治5年)に発令されました。身分や性別に関係なく、すべての国民に対して学校教育を開放し、近代的な国民教育を目指すものでした。その最も初期の学校が「尋常小学校」と呼ばれるものであり、時代背景とともにいくつかの変遷を経て、現代の小学校教育につながっていきました。私たちの郷土「羽島」にも、1873年(明治6年)には知風学校(現小熊小学校)、反求学校(現正木小学校)、化育義校(現堀津小学校)など23の小学校が設立されました。その流れを汲み、本年度創立150周年を迎えた学校が数多くあります。

現在の竹鼻小学校の前身「竹ヶ鼻学校」は、1874年(明治7年)に「好門義校」と「出藍義校」が合併して発足しました。竹鼻小学校は2024年(令和6年)に150周年を迎えます。

竹ヶ鼻学校は、郷土の中心に位置し、学校に大切に保管されてきた卒業アルバムからも見られるように、150年の長きにわたって数多くの卒業生を世に送り出し、他の学校と同様に地域に貢献してきました。当初は、竹ヶ鼻別院の食堂を仮校舎として利用されました。その後、モダンな洋風三階の校舎が建築され、当時は大変な話題となったようです。しかし、残念ながら1891年(明治24年)の濃尾大震災で倒壊し、現在の場所へ移転して木造の新校舎が建てられることになりました。戦時中には、竹鼻国民学校では大都市の空襲激化に伴って、街を挙げて集団疎開を受け入れ、疎開児童の世話をしてきました。

1954年(昭和29年)羽島市の誕生とともに、市立小学校となりました。そして、時代とともに児童数も増え、校舎も次々と増築し、講堂やプールも造られ、昭和30年代の高度成長期の頃には児童数は1.400名を超え、当時は羽島市の中では一番児童数の多いマンモス校となりました。昭和40年代には老朽化した木造から鉄筋校舎へと生まれ変わり、歴史を経て現在に至っています。また、教育内容の充実を図り、羽島市の小学校をリードする研修校として、『夢をもって「前へ」 ~元気に登校 笑顔で下校 心ふるえる竹鼻小』の学校教育目標のもとで、地域から愛される教育活動を展開しています。

今回の企画展は、学校創立150周年として、当資料館の所蔵品や竹鼻小学校からお借りして貴重な品々を展示しました。小学校教育や竹鼻小学校が時代とともにどのように移り変わってきたのか、羽島市の歩みとともに振り返っていただき、懐かしい写真などの数々を楽しんでいただければ幸いです。

開催期間:令和6年1月6日(土)~ 3月17日(日)

企画展の様子

歴史と伝統

竹鼻まつりの山車

本館がある羽島市の注目すべき歴史と民俗芸能をご紹介します。竹ヶ鼻城・美濃路などの歴史関係、竹鼻のまつり・代々まつりなど民俗芸能関係。ぜひご覧ください。

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施設案内

本館をご利用のお客様はこちらをご覧ください。マップ付きで分かりやすくご案内します。

受付の写真

アクセス

アクセスマップ
住  所 〒501-6241 
岐阜県羽島市竹鼻町2624-1
T E L 058-391-2234
F A X 058-391-7663
開館時間 午前9時~午後5時
(入館は午後4時30分まで)
休 館 日 毎週月曜日祝日の翌日年末
年始(12月28日~1月4日)
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